縄文人と私達 〜 注37

公開: 2022年10月5日

更新: 2022年10月5日

注37. ホロコースト

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツは、当時の社会的な背景からユダヤ人のドイツ社会における経済的な役割や学問的な役割の高さを標的にして、社会からのユダヤ人の排斥を訴えて政権の座に就き、その主張に基づいて、ユダヤ人を抑圧する政策を採りました。その政策は時と共に極端に偏ってゆきました。ユダヤ系の人々を集めて収容し、強制労働に従事させました。収容所に収容できないほどのユダヤ人が集まると、ヒットラーとその部下は、収容所に集めた人々をガス室で殺害するようになりました。

1945年になって、ソ連軍がポーランドに進軍して、ユダヤ人が収容されていたアウシュビッツ収容所に入り、数多くのユダヤ人の死体や、焼却された人骨を発見しました。そのことから、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺が判明しました。その大量虐殺をホロコーストと呼びます。第2次大戦後のニュルンベルグ裁判では、この大量虐殺に関わったとされるナチス軍の関係者についても審議が行われました。現場の指揮者であった、元親衛隊のアイヒマンは、ドイツを離れてアルゼンチンに逃亡していましたが、1960年、イスラエルの諜報組織によって逮捕され、翌年死刑に処されました。

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